飛翔期no.22 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ 森進一はハスキーボイスのはしりだった。最初はありえない歌声だったが聞けば聞くほど深みと歌唱力の高さを感じた。レコード聴きました。
飛翔期no.21 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ 燃えよドラゴンのブルースリーは衝撃的な登場だった。八尾の映画館は足元をネズミが走り回っていた。私が知った時は彼はこの世にいなかった。
飛翔期no.20 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ 嗚呼、花の応援団「青田赤道」の漫画楽しみでした。特に決めポーズと意味不明を発する言葉。薬師寺先輩のキャラから人生の縮図を見る。(笑)
飛翔期no.19 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ 昼なお暗き「安中町ナメクジ長谷」夜にアパートの下見に行ったのが大きな間違いでした。九州の航空写真の二ヶ月の出張帰ると部屋にナメクジが
飛翔期no.18 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ 参等航空整備士いわゆる単発機の整備士の国家資格免許です。この資格を取るために大阪の地で苦節三年辛抱致しました。(笑)
飛翔期no.17 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ スナック「亜紀」は安中町のアパートに新規オープンした店で悪友と通いました。金もないのによく通えたと今でも不思議な若き思い出。
飛翔期no.16 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ 八尾には5年間お世話になった。八尾の朝吉の「悪名」勝慎太郎は大好きな俳優だった。彼が歌った河内音頭はレコード買って覚えたほどでした。
飛翔期no.15 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ 近鉄八尾駅の近くに「次郎長寿司」があった。貧乏人の私でも月に一回は食べられる安い店だった。「まいど、おいど」の掛け声が懐かしい。
飛翔期no.14 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ 50年前の日本は給料は安かったが年に一回は忘年会とは別に慰安旅行があった。宴会になると必ず何か芸を求められた。私は大の苦手だった。
飛翔期no.13 社長人生記のイラスト集社長イラスト、飛翔期 / By 坂下リライフ 国鉄八尾駅の近くにパチンコ「天龍会館」があった。そこの店員の名物アナウンスは今でも甦る名調子だった。よく通ったが戦果は今一だった。