黎明期no.19 社長人生記のイラスト集
兵隊たちが口笛で奏でるクワイガワマ―チ今でも鮮明に聞こえてきます。映画の休憩時間に小坂一也の「青春サイクリング」が流れていた(笑)
小学校には名物の先生が一人や二人いた 元吉原小学校二年の時に明石先生という横山やすし似の先生が運動会の青竹を持って屈伸運動で屁をこいたことおもしろくて家に帰って夢中で話したこと忘れません
苦労して練習して、初めて真っ直ぐ走れた時の喜びと感動 自転車三角乗りの思い出 自転車に初めて乗れたのが大人用の自転車だった。 暗くなるまで練習して乗れた時はうれしかったなーっ
まとまった小遣いを初めて貰い、その日のうちに全額使い果たしてしまう 一ヵ月分の小遣五百円分をその日の内に吉原駅のプラモデル屋で扇風機の組み立ておもちゃを買ってしまい家に帰れず、夜になってから大野新田の家へ 兄と自転車に乗 …
地元のそれぞれの地区で工夫して演目を披露していた 静岡吉原市大野新田の公民館で娯楽の少ない当時は年に一度、地区毎に素人がみんなで演芸を真剣にやっていた 小さい私は、いまだに思い出すのはマドロス姿でなぜか拳銃を打ちまくって …
当時甘いものが少なく、お汁粉は唯一の糖分補給だった(笑) 幼いころは甘いものが大好きだった。特におしるこが 我が家のおしるこはすいとんの様にうどん粉のだんごが入っていた。 それが妙に美味しかった。
モノ作りが器用だった自慢の父親だった 父は日産の吉原工場に勤めながら自宅の納屋で夜遅くまで満州で培った板金技術で内職をしていました 当時農家では籾殻の処分に困っていて父は独自に開発した焼却器を作っていた 鉄板に10円玉位 …
新しいものが好きだった父親の自転車バイク 通称『バタバタ』父が夕方になるとバタッ バタッ バタッ と大きな音を出しながら会社から自転車バイクで帰ってきました。父が帰ってくるのを楽しみに待っていた